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2017年09月12日
やたら”ダサくないこと”にこだわる理由。
思いつくままにだらだら綴ります。
と、いう気持ちで書けて、やっぱりよかった。
最近気づいたことの一つが、私はやたらと、”ダサい”に対して嫌悪感、とまではいかないにしても、
”とにかくダサくならないようにするには”、ということに固執しているということ。
ダサいとかダサくないとか、あくまでもそれは自分の中の基準でしかないのだけど、
なんか、やたらと私はこだわっているらしい。
最近それに気付かされる機会が立て続けにあって、
多分そのことは、いかに”ヒッピー”感をなくすか、にやたらと執心していることと、とても似ている、
ということにも同時に気づいた。
先日のケータリング@VOID A PARTの様子。(主宰周防氏から写真拝借)
それはなぜなのか。
環境にいいこと、とか社会にいいこと、とかはなんでかわからへんけど、ハードルが高くて真面目になりがちで、
真面目な人とか、”意識高い系”の人、もしくはヒッピー系の人には届くけど、
そうじゃない人には届きにくい気がして、それをもったいない、て感じているから。
なんていうか、わからへんけど、そこに壁がある気がしていて。
そこに関わらへん人からすると、真面目な人とかヒッピーとかは「すごいな」ていう感覚で、
他人事に終わるような気がする。
もしくは、そこに関わらへん自分があかん人間のようにも思えてしまったりすることもあるので、
なんか責められているような気持ちになることもある(たぶん)。
特に、”ちょっと”興味がある、けど、できない、というゾーンの人はたぶんこのパターンが多いのではないかと思う。
(今日、社会学のゼミの先生や学生さんたちとお話して、社会学にむっちゃ興味湧いているのだけど、
たぶん、この辺りも社会学の分野やんな、きっと?)
ヴィーガンシェパードパイのマッシュポテト。
赤じゃがを使ったら、色がとても綺麗で、テンション上がったよ、の図。
で、まぁ、それはそれで、放っておいたらいいのだとは思うのだけど、なぜだかわからないけど、
私はその事実があまり好きではないようだ。
だから、”まちづくり”にしても、まちづくりの姿を前面に出さずに、隠して満月キャンドルナイトはやってきたし、
原発なんて反対でしかないけど、お店として基本的に言わずに来ている。
それがいいのかどうなのかはわからないし、正解なんてものはないと思う。
話が完全に反れている。笑
とにかく、いいことやってんのに、人に伝わらへんかったらもったいない、
それやったら、いいことやってる感は、あくまでも”実は”っていうスタンスにして、
見た目(入り口)は、できるだけ”いい感じ”とか”おもろそう”とか、”おいしそう”とか”楽しそう”とか、
とにかくハードルを下げて、入り口を広げて、その世界に少しだけ触れてもらって、
それぞれが自由に感じてもらって、その中でもしさらにディープなことを知りたくなったら、知ってもらう、
そんなきっかけになる、そのためには”ダサくない”ことがどうしても重要になってくるのだ。
語らずして多くを語る、的な、そんなことに憧れているのもある。
(でも、シャイなくせにしゃべりたがりなので、むっちゃ難しい。)
ミートソースの代わりをつとめるのは、ご飯と野菜とスパイス。
不思議な肉感がおもろい。
参加してみて、楽しくて、言いふらしたくなったら、
例えばその1人目の言いふらした人は、特に環境とか社会とかに興味がなかったとしても、
その人が言いふらした(=面白がった)おかげで、
たくさんの人が知る、関わることになって、そうすると自然とその中に本気系の人が出てくる。
自分の中に、ふつふつと湧く何かを持っている人。
ふつふつと湧く何かを持っている人は、何かアクションを起こしたくてうずうずしているけど、
どうやってそれを起こしたらいいのか、きっかけを探っていたりするかもしれない。
ふつふつ沸いてることに気づいていない人でも、たぶん多少”ん?”と思わせることもできるかもしれない。
そんな人が増えたら、世界は自然に変わっていくものだ、と思っている。
ムズムズうずうずしている人を、もっとムズムズうずうずさせたい。
言い過ぎないようにするのは、本当に苦しいけど、自分の持っている”答え”のようなものは、
できるだけ言わない。
あくまでも、ダサくない”餌”を作ることに最大限努力をするのみ。
シェパード、焼く前。フォークで模様つけるのが楽しいのだ。
みんなヴィーガンになるべきだ!とはちっとも思ってなくて、(むしろ私はヴィーガンやめた)
ただ、世界にはヴィーガンの人が割とたくさんいて、
動物愛護の考えを持っていたり(動物ばっかりで苦手やな、て思ったりもする)、
地球のことを本気で考えていたり、宗教上の理由で食べられない人もいたり、
そんな人たちがいてる、そんな世界を知るのも面白いし、て感じでヴィーガンを作り続けている。
そして何よりも、制限のある中で、美味しいもんを作る、これほど面白いことはない
2つ目の理由は、「結果的に」社会がよくなる、的なものにものすごく萌えるから。
”これは社会にいいからやろうよ!”じゃないスタンス。
これはたぶん、民藝が好きなのとものすごく共通しているのだけど、
民藝といえば、”用の美”。
美しく作ろうとして意図的に生まれた美しさではなく、
例えば使い手に寄り添って、使い手が使いやすいような形を求めて行った結果、
それが美しい形をなす、みたいな。
だからたぶん、ダサくないものを餌にして、そこに関わってもらって、
その人たちが意図せずして、例えばそれが地域活性化につながったり、
農家さんを応援することになったり、びわ湖がきれいになることにつながる、とか。
今の世の中やと、どちらかというと気がつかないうちに、
極端に言うと、地球を汚したりとか、戦争に加担したりとか、してしまうようにできていると、
ちょっとディープサイドな情報では言われていて、私も割とそう思ってるんだけど、
その逆をしたいんだな、たぶん。
(ツイッターやtumblrで使っている”プン”という名前は、その辺りの思いを込めてつけた名前だったりする。
花粉。蜜欲しくて飲みに来たら気がついたら花粉つけてて、気がついたら受粉させてて、気がついたら実らせる手伝いしてる、的な。)
だから、やっぱりそのためにも、最初の餌をいかに魅力的にするのか、にすごくこだわってしまうのだ。
と密かに思いながら、木下実験室の方は絶賛立て直し中です。
恥ずかしいくらいに、まだ全然木下実験室を言語化できていない。全然ダメダメ
プラス、琵琶湖フィッシュアンドチップスも、運営体制まだ手探り状態なので、
関わる全員が幸せになれるのが本気の目標なので、
それを実現できるような仕組み作りに頭を絞りたいと思います。
そんなこんなで、来月10月8日(日)、ワーカーズコープ西日本主催の、
「いま、「協同」が創る2017全国集会」@龍谷大学の2日目、
第17分科会”女性がはぐくむ、地域で循環する暮らしとなりわい。~びわ湖のせっけん運動から 40 年。第二世代の展望と挑戦。~”
で琵琶湖フィッシュアンドチップス(木下実験室)として登壇します。
久々の、真面目な会。ちらほら知っている名前を見かけるので、おもろい会になりそうです。
もしよろしければ是非。
久々に、”ぺろん”な記事だったな。
やっぱり書くのは楽しい。
読まれようと、読まれなかろうと、どっちでもいいや。
(いや、まぁ読んで欲しいんやけどな、結局は。)
<おまけ>
最近見て、超〜〜〜よかった映画”UNDERGROUND”から。
サントラもむっちゃツボで、ジプシー音楽むっちゃいい!てなっている。
本当は8曲め(Ringe ringe raja (Ya ya))を載せたいけど変化球すぎるので、こっちにしておく。
<追記>
なんかまるで、自分はいかにもダサくないって思ってるように聞こえるかもしれないけど、
あくまでも心がけているだけです。
ダサい、てならへんように、したいなぁ〜、自分の作り出すものは!みたいなスタンスです。
だからデザインに力入れよう♫みたいな、そんな感じ。
2017年08月15日
久々に。「私とマドレ②」長い長い長い長い長ーーーーーーい振り返りパート2。
前回の更新からずいぶんと間があいてしまいました。(振り返り第一弾記事はこちら。)
最近は、琵琶湖フィッシュアンドチップスのことで頭がいっぱいです。
インスタも始めました(こちら)♡
デザインもお気に入りさ。
2年くらいずっと思い描いていた、琵琶湖フィッシュアンドチップス。
正直言うと、今回も、提案はしたけれど、
マドレでひたすらお金のこととか売上のこととか、
他のメンバーとの合意形成とか、
人に来てもらわないといけないプレッシャーとか、
そういうなんを考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えてきたので、
(不器用だし下手くそだからね。ただそれだけのことさ!)
しばらくそういうなんからは離れたくて、やる気なかったのだけど、
でも、結果、やってよかったな、と思ってます。本当に。
意外に思われることもあるけど、元々ものすごく面倒くさがりなので、こんなきっかけでもなかったら、
やらずに終わってただろうし。
面倒くさがりの自分を鼓舞するのが面倒臭い、みたいな。
琵琶湖フィッシュアンドチップスネタで書きたいけど、これより先は我慢。
三日月知事にも食べてもらいました♡
開催されていた石けん運動40周年記念集会「びわ湖発。未来のセンタク。」はメンバーも豪華で、私も見たかったなー。
当日のフォトレポートはこちら。
はい、では続きですね。
続きとか書けるのかな。
* * *
ファブリカ村でエイコちゃんと出会ったところ。
そう、ナンパされたのだ。
この日、私にとっては生まれて初めてのカフェで、
その時も、全然カフェする気なんてまったくなかったんやけど、流れであれよあれよと言う間に
そんなことになってしまい、メニューの決め方、盛り付け方、
値段の設定、準備の仕方、など何にもわかんないまま、出しました。
とにかくオロオロしていた記憶。
オロオロしているのに、それが周りにはバレない、つまり冷静に見えるらしいことを知った日。
今でもそれは変わらず、普通の顔してもの落としたり、こぼしたり、変な行動を取ってしまう、
緊張したり焦ったりすると。(これは母キヨミに似たんだな、とマドレをやっていくうちに気がついた)
(当日のブログ振り返りはこちら。おもろい。)
そんな時に、エイコちゃんはお客さんとして登場。
ファブリカに電話で予約入れてくれたの、覚えている。
村西さんという人2名、という感じで頭に残っている。これで違ってたらなんて記憶は曖昧なもんなんだろうね。
ちなみに、このころはまだおかず部門始めていない。
私はまだ、一人で出店して、だいたいマフィンを中心に作っていた。
エイコちゃんはキッシュセットを食べてくれて、
帰り際に、当時私は携帯電話を持っていたので、番号交換することになった。
ちょうどこのころ、ブログに”おまけ”コーナーを始めていて、Mandodiaoとか、キヨシロウとか載せていた。
10年以上欠かさずフジロックに通う、生粋の音楽好きのエイコちゃんはそこに反応してくれたらしい。
意外と警戒心の強い私は、できる限り番号交換を避けていたのだが、
この時はすんなり受け入れた、不思議なくらい。
短いバージョンやなこれ。
あ、どうしよ、このエピソードだけで終わりそうだな。
で、この時に、エイコちゃんが、”ひとりやったらカフェとかできひんわ〜”的なことを言っていて、
私は当時、出店いろいろする中で、ひとりで活動していた人にたくさん出会っていたから、
”そんなことないよ〜できるよ〜!こんな私でもやってるねんし〜!”ていうのを、なんかむっちゃ言いたくって、
その後、いろんなイベントに誘いまくることになる。
出店で出会った素敵な人たちや、その世界に、会わせたくて、
できるって思ってほしくて(おせっかい)、
そんな中でお茶摘みに行った帰りに珈琲オッタさんで、清志郎のことを語って泣いたのは強烈な思い出。
(その間に、お茶の発酵がずいぶん進んだ。)
(この時の、エイコちゃん視点が書かれた貴重な記事はこちら。むっちゃいい記事です。永久保存版。
滋賀トコさんありがとう。いい記事書いてもらったのに、やめちゃってごめんね。)
そして、なんかの流れで、ちょうどこの年、2011年、アースデイというイベントが栗東さきらで開催されることになり、
そこに一緒に出店することに。(shop Madre x ecoで出た。)
出店で何を出すかと考えた時に、一体何時間一緒にいたのか忘れたけど、ひたすらしゃべり続けて、
こんなにもずっと喋れて、意見も言えて、私の意見がずれてたり、興味と合わなかったりしたら、
うまいこと修正したりかわしたりしてくれて、この人すごい、てなった感覚は忘れられない。
懐かしすぎる、当時の看板。
しかし、さきらの出店ではまぁまぁコケた。
出店場所ってのもあったとは思うけど、コケた。
このアースデイ、伝説的だった。
この時に、当時ベホマさん(会いたい会いたいと思っていた)、現在Base For Restであり、ノラノコでもあるチシン君に出会った。
(当時のブログ振り返りはこちら。面白い。笑)
2011年は割と、ピタパンサンドを作っていた。が、やっぱりやるからにはグルテンフリーにしたくて、
その後、ライスバーガーブームが到来する。
その後も、一緒に出店して(そしてなぜか、こける。笑)、遊んで、
ついに、2011年9月”満月キャンドルナイト燻製キャンプ”を企画・開催することになる。
きっかけは、私のオーストラリア旅時代の、
確かFraser Islandでキャンプした時の、月の光のあまりの明るさと(満月だったかは知らんけど)
月が水面に映る、反射する図と、波の音、が、あまりにもキレイだったことと、
そして、あかりんちゅ企画の信長の館でのキャンドルナイトに行った時に、
エイコちゃんと妄想を繰り広げて、燻製とワインがあったら〜となったこと。
プラス、このころ、元新橋芸者の千代里さんのお話会で、
地球暦に出会っていて、面白そうって思いつつ、ハードル高いなぁとなっており、
せめて、月のリズムだけは刻みたい、ということから満月テーマで何かやりたかったから。
(このころ、満月マルシェとかできたら最高だよな〜って思ってた。)
そして開催した第1回目のキャンドルナイト。
20名くらい来てくれたかな。持ち寄りベースで、物々交換コーナーも作って。
段ボールで作った燻製器を持って行って、琵琶湖の湖岸で、燻製で遊びながら、キャンドルナイト。
この時に来ていたメンバー、今思い出しても面白い。
伝説の第1回目だな。
当時、商工会議所関係の仕事で、別のつながりが生まれていて、
このころから、酒游舘の西村さんにずいぶん遊んでもらった。最近会っていない。元気かな?
断片的にしか記憶には残っていないけれど、
この時来ていたYギちゃんの車の蛍光な黄色とか、
火遊びする大人とか、
夕方気温が下がって、earthvillageさんから借りていたカリンバが、
ちょっと湿気ってる感じとか、うっすら覚えている。
百菜劇場さとみんはババガヌーシュを作ってきていて、
ジェントルは、燻製にたくあんを持ってきていて、
うさいぬさんはカシューナッツ?
(レポートはこちら。)
そんな第1回目を終えて、このころ、本格的に、エイコちゃんにマドレに入ってもらうことを考え始める(もっと前からかな?)。
悩んで悩んで悩んだ末、
本当に、プロポーズするような気持ちで、マドレに誘う。
重い!(と、この話をしたら誰かに言われた。)でも、本当に、ものすごい覚悟を決めて誘った。
そして、10月からエイコちゃんが正式にマドレのメンバーになる。
この際だから、暴露してしまうと、最初は自分の給料を半分にする形からスタートしている。
そして、もともとマドレメンバーは、身内で、
私も最初は東洋商会の仕事もしていたので、ゆるさ全開だったのだけど、
そうじゃない、身内でもない、東洋商会でもない、マドレ専属の人間が一人増えたことで、
その分の給料をちゃんと稼がなければ!という意識が生まれる。
* * *
他にも、幸せの経済学の上映会in安土でまた新たな出会いがあったり、
”食べられる器”に挑戦して、チヂミをキャベツの皿で出したり。も、この頃だし、
桜の花の塩漬けを初めて作ったのもこの年。
ま、ひとまず、第2弾、一旦ここまで!
あんまり進んでなくない?
まだ2011年10月だよ。笑
第3弾は、おそらく満月キャンドルナイトと自主企画のイベントいろいろの話いろいろになるのではないかと思う。
まどれ市までたどり着けるかどうか!乞うご期待!!!!
なんつって。
辛くなった時に、何度も救われている、この曲。wonderwallとかlive foeverとかも好きだけど。
Posted by shop Madre at
18:06
│Comments(0)
2017年07月09日
「私とマドレ①」長い長い長い長い長い長ーーーーーーい振り返り。
ブログを書こう、書こうと、思いながら、向かいながら、それでもなかなか進まなくて早1週間(超えたね)。
1年目に何よく聞いていたか思い出せない。けど確実に効いていたのはthe Kinks。
準備期間を含めると、マドレとしての7年4ヶ月を終えました。
これまでありがとうございました。
さぁここに、一体何を書いたらいいのだろう。
書いてもまとまらず、を繰り返して執筆4回目。
もう、つらつらと思いつくままに綴ることにします。
だからおそらく時系列もバラバラ。できるだけ修正せずに行きます。
実に不思議な7年間でした。
もう、不思議。
なぜ私がマドレをすることになったのか、もたまたま。
たまたま家の会社が、米粉製粉機を開発してきて、
(大学時代から米粉パンの試作をよく食べていた。)
たまたま、私がオーストラリアで旅をしながら生きる意味を考えまくって鬱っぽくなっていて
”この世の役に立つ”ということが、偽善的な意味ではなく、自分にとっての生きるための糧になる、
だから、私が生き延びるためには、何かの役に立ちたい、ということに気づいたその頃(2009年終わりくらい)、
日本では米粉ブームが来ていて、後発メーカーからうちの製粉機が叩かれ、
「細かい粉でないと美味しいものができない」という”常識”を作られ、
父はあまりの多忙と心労で運転中に眠りかけて何度か危ない目に遭っており、
このままでは危ない!と、父がずっと構想していた”アンテナショップ”がいよいよ必要になった。
生き延びるためには何かの役に立つことだと気付いたgrape pickingの頃。
(これまでオーガニック農場回っていた時よりも、この農薬バンバンのぶどう農園で、
ひたすらぶどうを狩っている方が、精神的に安定する矛盾。)
隣に住んでいたのはトンガ人たちだった。
フェフェハッカ。ていう挨拶を覚えた。日本人はゼロ。
イギリス人だらけ、ほぼヨーロッパ系、韓国人少し。
ヨーロッパ系の人たちみんな大きくて、小人になった気分。
一方、オーストラリア・シドニー時代には、2〜3日に1回、ヴィーガンケーキを焼いて人にあげていて、
割と回りに好評で、特にたまたまルームシェアしていた1回り上の日本人女性・みちよさんが、
永住ビザを取るために、調理学校に行っている人で、私のケーキを気に入ってくれ、
カフェに卸すことをすすめてくれたり(実現はしていない)、
(みちよさん、厳しい人(ていうか私が超ふわふわしていたから)だったから余計に嬉しかったのだな。元気にしてはるかなぁ。)
シドニーはマーケット文化が盛んなので、いろんなマーケットに行きまくる中、
大好きなGlebe Marketで、一度自分のケーキをマーケットに出せないか挑戦してあえなく撃沈しつつも、
それでも、自分の中で、なんとなく”いつか”の目標のようなものになっていた。
(その後長らく忘れることになるけれど。)
基本的に小麦で作っていたけれど、米粉を日本から送ってもらったりして作ってもいた。
(マドレ1年目のポスターやウェブサイトに乗っけていたケーキの画像は、シドニー時代に米粉で焼いたヴィーガンケーキだった記憶。)
1年目から知ってくれている人はもしかしたら見覚えがあるかもしれない、
シドニー時代に作ったブルーベリーの米粉のケーキ。
オーストラリアはスーパーででっかい袋のオートミールが普通に売ってるので、
グラノーラも好きなよう〜に作っていた。これがマドレグラノーラの原点ね。
そんなこんなで、もうオーストラリア生活に限界を感じていた私は、
アンテナショップを立ち上げる手伝い、ということでとりあえず一時帰国のつもりで、2010年2月に帰国。
まだビザの期間残ってたし、一時帰国のつもりではあったけど、
同時に、”もうオーストラリアはお腹いっぱいやな。多分戻ってこんやろな。”と思いながら飛行機に乗ったのを覚えている。
そこからまずは、米粉製粉機のアピールに、多分幕張メッセとかの展示会に手伝いに行き(着物で行った記憶。)
そのままの流れで、アンテナショップ立ち上げに向けて本格始動。
名前を考え、(むっちゃいっぱい候補を出したけど、結局社長の一声でショップマドレに決定。
この時の候補の中に、その後活躍することになる”&”が入っていたのだ。)
なーんにも知識も経験もない状態でよくわからないまま加工施設の図面を書き、
大量のゴミを捨て、家を建て替えていた頃居住スペースだった場所が、マドレの厨房に変身。
毎年出店してきた6月の”信長まつり”でPR、翌週土曜日にオープンに決定し、
チラシを作ったり、ウェブサイトもデザインからコーディングまで自力で吐きそうになりながら泣きながら作成。
そして帰国直後にたまたま父の紹介で、西の湖で自然農でお米を育てているご夫婦に出会う。
(オーストラリア時代、パーマカルチャーやバイオダイナミックの畑でWWOOF中に出会ったけど、
ずっと福岡正信のわら一本の革命が気になっていて、それを読んだ時、かなり救われた。
その当時のエピソードは、NPO木野環境さんのぼちぼちと京都内「京都と本とエコと私」に記事あり。懐かしい。
その時から、”自然農”がキーワードになり、まさかの安土で、出会う、縁。)
オープンしたはいいものの、最初は幼稚園のお母さんたちが来てくれたけれど、
ただ開けてたらお客さんが来るというものではない。ということを痛感。
それでも東洋商会の存在・そして父の存在のおかげで、
オープン直後にe-radioで川本勇さんの番組に父と出演したり、
何か忘れたけど、ロンブーの淳が出ている城の番組でお土産のお菓子「パンデロー」を作ることになったり、
(今思うと、クオリティとか色々もう恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。今のお菓子食べ直してほしい、て感じやけどね。)
お江の撮影で出演者・撮影スタッフにコスクランを食べてもらい(上野樹里ちゃんが気に入ってくれたらしい、と聞いた。)
何かしら不思議な動きをしていた。
でも、私は当時ヴィーガンのおやつ担当で、
キヨミとフジイはノンヴィーガンの、シフォンやシュークリームを主に作っていたのだけど、
びっくりするくらい、ヴィーガンは売れない。
グルテンフリーなんて言葉も、今は大分浸透してきたけど、オーストラリアでは当たり前だったし需要もあったけど、
全然何も価値がなかったし、ヴィーガンも需要がなかった(届いていなかった、というべきかもしれないけれど)。
とにかくいつもヴィーガンのおやつが見事に売れ残っていた。
マドレ1年目の写真、パソコン一度壊れた時にほぼすべて失ってしまった模様でみつからない。
ので、代わりに、シドニー時代のケーキの写真。お気に入り、ブラウニー的なケーキ。
ホームステイ先が、コーヒーミルを持ってはったので、それでくるみを粉にして入れていた。
でも、ボールというアイテムがなくて、なんかおしゃれなでっかい器を代わりに使ってケーキを作っていた。
だいたい、ワインを飲みながら。最高ね。
そんな時、西の湖自然農で出会った安土のかあちゃんから、
「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会の出店のお誘いを受ける。
それが、初出店。
その時に、のちに理事をすることにもなるNPO碧いびわ湖や、
のちに、憧れであり、戦友にもなる、ジェントレコさん、
その後一つの出店ベースとなる小舟木エコ村のマーケットを紹介してくれ、
まどれ市のレギュラーメンバーにもなり、
おうち作りのお手伝いも行かせてもらうことになったワイルドキッチンさんに出会い、
一気に世界が広がることに。
(その時のブログ記事はこちら。憧れのOpen Sesame!さんがお隣やったらしい。しかも”テンペがおいしい”て書いてるぞ、私。笑)
おそらく、性格上、ひたすら待ちの体制である、お店よりも、
出店で攻めていく感じの方が合っていて、
エコ村マーケットの出店を始める。
ここでまた素敵な人たちに出会い、本当に素敵な人たちばかりで、
むっちゃ楽しいし、美味しいもんばっかりやし、さいこーなんやけど、
自分の色がないことに悩む。
みんな、自分の色を持っている。
百菜劇場さんのブログから画像を拝借。懐かしい。
ブログによると、私は、「自家製柚子味噌と畑の大根のキャラメリゼの玄米マフィン」とか
出していたらしい。攻めまくりだな。
でも、大根のキャラメリゼにはまりまくっていたのはむっちゃ覚えている。
地産地消を徹底的に目指していたので、いろいろ試していた記憶。
夏には、皮から作った生春巻き出していたね。
そしてもう一つの出店ベースだったのが、G-netしがでのチャレンジショップ。
こっちは、ひたすら辛かった。出店が苦痛で仕方なかった。笑
修行。
本来は、チャレンジ講座を受けた人がチャレンジショップを出すのだと思うけど、
そんなステップを踏んだわけでもなく、たまたま小学生時代にやっていたガールスカウトの団員長が、
関係者で、声かけてもらって、よくわからんままで出店することに。
なので、とにかく修行。
待ってるだけでは全く人は来ない。そんな日々。
でも、出店するから作らなければいけない。でも、人は来ない。
とにかく、人が来ない。
マーケットだったら、他の出店者もいてるから、人は来てくれやすいけど、
得体の知れない1店舗のみ、もしくは+安土夢さんとの2店舗のみで、
自分たちで広報しない限りは全く人に知られることのない状況で、とにかく、人が来ない。笑
とにかく、あまりにもあんまり人が来なくて辛かったため、この時に、広報の重要さを痛感。
エコ村出店時に、確かYuさんに相談した時に、滋賀咲くブログをすすめられ、始めることに。
(それまではgooブログを使っていた(☆)。そして、Facebookは日本ではまだ全然認知度なかった。)
そしたら、そのおかげで、ブログ見ましたー!というお客さんが増え始め、
書くのも面白くなって、むっちゃ書いていた。
マドレ1年目といえば、これ。初代地産地消マップ。確か、Fantastic Marketに出店した時に作った気がする。
当時、何かと封筒の裏に書いていた。今でも基本的にこの考えは変わっていない。
そして多分、自分の色がないことに悩む中で出た一つの形が、”着物”で、
まどれ=着物 になるべく、出店の時はほぼ着物、店舗営業の時も、着物、
どこかお出かけ、て時も、かなり着物を着ていた。
(一応理由を説明しておくと、オーストラリア時代はいかに見た目を気にせず過ごすか、ということに賭けていて、笑
化粧はしない、服は気にしない、みたいに半分意識的にしていて、プラス自給自足を目指してもいたので、
本当は素材からすべて作りたいけどそうはいかないため、そして環境負荷なども考えると新品を買う気にはなれず、
服はすべてチャリティーショップでゲットしていた。真面目だな。笑
プラス、日本に着いて、どの店も、ほぼ同じようなものばかり置いているということになんだか違和感を感じて、
お金のめぐりとか色々考えると買い物する気にはならず、もらいもんの服ばかり着ていたけれど、好みとは限らない。
そんな中で、思いついたのが、おばあちゃんの着物。当時の自分の中で、エコ、そしてロックの形。)
大学時代から着物の教室に通っていたけど、
私は頭での理解(理屈?)がどうしても必要なのと、単純に好奇心旺盛なため、
何のためにこれをするのか、とかを知りたいので色々質問するのに、
イケズ(今のレベルではダメ、的な。)をして全然教えてくれなかったため、
本当に全然上達しなかった。
常に頭の中がはてなマークで埋め尽くされていて、一度はてなマークが浮かぶと、
本当に、はてなマークが脳を占拠するので、次の情報が入りにくい状態になってしまうのだ。
なんて面倒臭い性格だろう!
お金もかかるし、全然欲しくもない変なデザインのものを買わざるをえないし、
でも、資格は取れてしまう、そんなシステムの歪みにも疑問を感じてしまう、自分。笑
(でも資格に興味はない。だからってできるわけじゃないし、私の場合。だから余計に混乱する。はぁ面倒くさい性格!笑)
しかし、帰国後、kancoちゃんの紹介で行き始めた着物教室が、
先生もロック?ファンキーで、一人でチャゲアスのライブにいくような人で、
着丈が短ければブーツを、ゆき(袖の長さ)が短ければ、アームウォーマーを、
みたいな人だったし、半幅帯で自由に帯結びしてもいいてスタンスで、
へんてこな質問にもちゃんと答えてくれはったから、
そのおかげでグッと着物の世界が広がって、楽しくなった。
その時の先生にはほんまに感謝している。
その代わり、私は半幅帯しか結べない。笑 (自分でそれを選んだんやけどな。)
そして、どうやら布に関してはこの上なく不器用であるらしく、未だに、
なんで?てことがうまくできないから、完璧な着こなしはできないけれど、
それでも今、着ようと思ったら、ちゃんと手が覚えているので、着れる。
当時のお気に入りコーデ。
もう、話が反れまくりだな。
まぁ、いい。雑記だね。まだ1年目の話やのに。
(ちなみに着物を着なくなったきっかけは、地球食さんのたましいの里まつりの時に、
男物の着物で”仮装”で出店して、あまりにも男性着物が着るのが楽すぎて、
女物の着物を着るのがバカバカしくなってしまったためだ。はぁ!なんてくだらない理由なんだ、我ながら。笑
そして、夏は暑い。)
これな。
とまぁ、そんな感じでした。
1年目、もう一つ転機となったのはおそらく、2011年にびわ湖放送で放送された「おうみをDIG ZAG」に出演したこと。
この時に合わせて、まず、店舗暖簾をデザインした。
そして、やはり多くの人に知ってもらう大きなきっかけになった。
番組スタッフの人たちも本当に本当に本当にみんな素敵な人たちばかりで、
そういう意味でもかなりいい刺激になったし、相当な励みになった。
この時にももちろん着物で出演していて、
でも、オーストラリア旅時代のことも紹介してくれはったのだ。
私の原点となった、電気ガス水道なしの暮らしをしていたタスマニア時代の写真とともに。
(人生で一番肉体労働をした時期。毎日ツルハシで穴掘り&土運びで、飲み水は川からタンクで運び、
お風呂はあるけど水がちょっとな感じだったので、川で全身&服を洗っていた。詳しくはこの記事へ。)
撮影の様子。懐かしい。
この放送をファブリカ村さんが見てくれてはって、その縁で、2011年4月に人生初の出張カフェをすることになったのだ。
一方、2011年1月から、近江八幡市商工会議所でも仕事を始めることになる。
こちらの事の発端は、マドレ1年目に父が無理矢理ねじ込んだ、海外からの視察?研修?のアジア人対象の、
西の湖での環境学習でのスピーチ(英語)。
この時に、”食べて地球にやさしくなる”についてスピーチを5分ほどして、
その時に、商工会議所の会頭になる秋村会頭が来てくれていたことがきっかけ。
むっちゃ嫌やって文句ブツブツ言いながら準備したけど、やってよかった、と心の底から思う。
任された仕事は、”ワールドカフェの開催”と、公報誌「草の根まんだら」の一部ページの担当(1号と2号のみ)。
(これによりまた新たなつながりが増え、自分の中で”まちづくり”的な要素が一つの軸として加わることに。)
ワールドカフェ、というのは、拡散型の話し合いの場で、
”カフェ”のような雰囲気で、お茶とかお菓子とか飲みながら食べながら、
たまに席替えもすることによって化学反応も起こしながら、
一つの問いに関しておしゃべりしながらアイディアを出していく、一つの話し合いの手法、みたいなもの。
フジイのミイラ男のシューも、どうやら1年目のハロウィンで登場していたらしい。
”まちづくり”的な位置付けで、イベント企画をすることになったのだ。
これまでイベント企画なんてやったことない。
右も左もわからない状態で、とにかくワールドカフェやファシリテーションのワークショップに行きまくり、
周りの人たちの力も借りながら、なんとかイベントを開催。
もう、本当に、周りの人たちのおかげでできた、としか言いようがない。
これが、生まれて初めてのイベント企画で、その後、キャンドルナイトやまどれ市を始め、
いろんなイベント企画につながっていくことになる。
そして同じ頃、先述のおうみをDIG ZAGの縁でファブリカ村での出張カフェをすることになる。
キッシュのランチ。
カフェするなんて、全くの初めてで、その時はむちゃくちゃやりたいというわけでもなかったけど、
気がついたら、カフェをすることになっていた。不思議。
そういうもんだ。
この頃、おからクラッカーにはまっていて、初めてパッケージデザインをすごく褒められて
嬉しかった記憶がある。
当時は持ち帰り袋も手作りだったのだけど、
おからクラッカーは、いらなくなったDMハガキを使って、
箱みたいなパッケージを作っていた。
ついでに酒粕クラッカーも、日本酒の升をイメージした箱をこれまた、
会社にあったいらないファイルみたいなんで一つ一つ手作りしていた。
(初期の頃のお気に入りのパッケージ2つ)
そして、このカフェで、エイコちゃんに出会うことになる。
これが、マドレにとっての最大の転機だったのではないかと今でも思う。
<続く>
続くのか?笑 まだ1年目途中やし。笑
Sydney時代に一番聞いたかもしれないのはこの曲。
It's your life, and you can do what you want.
Do what you like, but please don't keep me waiting, please don't keep me waiting...
2017年06月22日
23(金)はひらけdoma!の日@草津、25(日)はVOID A PART@彦根でマドレのおやつが登場しまーす♡そして。
やー6月も残すところあと10日。
月日が流れるのは早いですね。
今日は過去2番目に多い量のテンペを仕込みました。
(最高記録は、ちょうど1年前の東京出張出店@HAGISO)
今週金曜日は、木下実験室、テンペを提げ草津に進出です。
憧れの、雨水タンクや太陽熱温水器のある暮らしをされている綾さんのお家での開催です。
(設計・施工はどっぽ村の清水陽介さん。)
生テンペと、テンむすを持っていきます
テンむす。みんなどこかを見つめている。
マドレのおやつも持っていきまーす。
ちょっと生菓子も持っていくよ♫
お楽しみに〜
以下FBイベントページより一部抜粋。
とき:6月23日(金)10時~16時くらい。出入り自由です。
ところ:草津市内(詳しくはお問い合わせください)
問い合わせ:綾まきお 090 - 4278 - 0396
*駐車スペースに限りがあるので、できるだけ乗り合わせでお願いします。
*会場費として大人お一人100円お願いします。
{{出店}}
せれんでぃっぽ☆…コーヒー
under tree…すこやかなおやつ(ロールケーキetc)
木下実験室…自家製みずくぐり生テンペとテンむす
ショップマドレ…じかせいふんのこめこのおやつ各種
たまぱん…自家製天然酵母のパン
クサツパイオニアファームと百姓欽佐エ門…無農薬の季節の野菜
アトリエイチイチ…イラスト
みるまに-mirumani-…刺繍の雑貨
碧いびわ湖…自然とつながる住まいづくりの相談
* * * * *
そして、25(日)は彦根の湖岸沿いの素敵なお店VOID A PARTさんで
木下実験室の出張ランチが急遽決定!(11時〜15時)
テンペと野菜たっぷりのランチ。
テーマはColourful & Vibrant。
体の中の、細胞たちがよろこぶような、そんなごはんを持っていきます(イメージ)。
ようやく待ちに待った夏野菜たちが出始めているので、
近江八幡の小林ファームさんの、四葉(スーヨー)キュウリ(叫びたくなる美味しさ)や、
愛東の村上農園さんの新じゃがや人参なども登場しつつ、がっつりテンペも大活躍の予定です♫
野菜たちがあまりにも美味しいので、できるだけ邪魔しないように、でも、ちゃんと遊びたいと思います。
お楽しみに〜!
去年のカイラスコウボウでのランチ。
そして、カフェタイムにはショップマドレのスイーツも登場。
今、8年目のほったらかしブラックベリーが今年も大豊作なので、
ブラックベリーもりもりのスイーツになるかと思います。
今のところ2種類持っていく予定ですのでお楽しみに
そして、こっそり29日(木)に18時か18時半頃〜マドレでBE FREE!上映会+サンノお話会を開催します。
パレスチナのこと興味はあるけどよくわからん、て人、ぜひ。
実際に現地へ行ったサンノ(ツチノネを一緒にやったね)の話、むっちゃわかりやすくて、心うたれます。
そしてそこには事実しかない。
定員8名くらいのちっちゃな会を考えているので、気になる人はお早めにお知らせください。
きっかけは私の履いている靴が、イスラエル産であることをある人に指摘されたことから。
やっぱり実際に現地に滞在して、現地の人の話を聞いてきた人の言葉は強い。
そしてサンノむっちゃおもろいし話わかりやすいのでオススメです。
お問い合わせは、info☆shop-madre.comへ(☆を@に変えてください)。
最近、BBCのレディオヘッドのトムヨークのインタビューで最後に紹介してはって、ウォ〜!!てなった曲。
(なぜかインタビューのリンクが、”登録できない単語”とか言いよって記事投稿できなくなるので、飛ばせない。)
2017年06月14日
マドレ博物館開催中!&デリ部門終了のお知らせ。
6月12日で、マドレは7歳になりました。
早速お祝いに駆けつけてくださったみなさま、ありがとうございます
1周年は確か幻のポイントカードが登場して、
2周年は、まどれ市の前身となる「まどれです。2さいです。カフェします。」、
3周年は、まどれ市⑩とタイミングが重なり、拡大まどれ市、
4周年は、まどれ4歳復活まどれ市、
5周年は、まどれ市 と &市、
6周年は、ヨルマドレ/裏ヨルマドレ、
そして、今回7周年は、マドレ博物館。
過去7年分のいろいろが所狭しと並んでいます。
2011年〜2012年にかけて開催していた満月キャンドルナイトや、2013年に開催した穴蔵満土禮(アナグラノマドレ)、
つーちーになろうプロジェクトや、選挙に合わせて作ったおよねちゃんの選挙ポスターと選挙の立候補者掲示板、
架空のレコード会社まで作ってしまった、マドレインボーレコーズのMAGICAL MYSTERY RICEなどいろいろ。
2012年〜2014年にかけて定期開催し、2015年の5周年ではずっとやりたかった安土の素敵を紹介する &市(アンドイチ)と同時開催したまどれ市。
まどれ市レギュラーメンバーの紹介や、過去の出店者さんの一覧も写真と合わせて展示中。
2010年から現在までのデザインの種的なものも集めて公開中。
ちなみに、「根の国」(キャンドルナイトといえば、の思い出のドキュメンタリー映画。)や
サティシュクマールさんと辻信一さんの対談映画「いま、ここにある未来」、
(個人的には「懐かしい未来」の方が好き。)
なども自由に見ていただける「勝手にマドレシアター」も開催中です
くじ引きも実施中なので、ぜひ!
****
そして、突然のお知らせになってしまって申し訳ないですが、
6月いっぱいでデリ部門を終了することになりました。
いつも楽しみにしていただいていた方、ごめんなさい!!
ライスコロッケと、ニセモノのカツはなくなり次第終了となります。
(8月のおやすみまではあるのではいけるはず)
小麦ゼロのお米のパンも6月いっぱいで基本的にはおしまい。
というのも実は、私アユミは6月いっぱいでマドレを脱退することになりました。
合わせて木下実験室の活動も7月以降しばらくおやすみします。
なので、テンペも6月いっぱいで一旦ショップマドレでの販売を終了します。
7年以上、私の生活の中心にあり続けてきたマドレにはたくさんの想いがつまっていて、
いろいろ綴りたいこともたくさんあるのですが、ありすぎて驚くほど長い記事にもなりそうなので、
そちらはまた改めてアップします。
たまたまにたまたまが重なってお店をすることになって、
その中で好き勝手やらせてもらって、気がついたら7年。
マドレがなかったら今の私はなかったし、マドレのおかげでたくさんの人に出会うことができました。
一緒に面白がってくれたみなさん、ご飯を楽しみにしていただいたみなさん、
本当にありがとうございました。
6月いっぱいは通常通り木・金・土とデリ&パンランチ、
28日にはつーちー定食(今回は土鍋だきの白米になります)のご予約もいただけますので是非ご利用ください。
また、来週23日は「ひらけdoma!~綾さんちのオープンデイ~(仮)」に木下実験室として出店し、
できたてテンペやテンむす、まどれのおやつも持っていきますので、
普段安土遠い!と言う草津近郊の方々、是非。
雨水や太陽の近い暮らしも体感できる日になると思います〜。
お楽しみに〜。
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マドレ博物館は6月いっぱいまで開催中です
是非お立ち寄りください◎
「日本に、この人がいて、本当に良かった。高木正勝インタビュー」て言う記事がむっちゃよくて、
その中にもリンクが貼られているこの曲。ふるえる。