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2017年08月15日
久々に。「私とマドレ②」長い長い長い長い長ーーーーーーい振り返りパート2。
前回の更新からずいぶんと間があいてしまいました。(振り返り第一弾記事はこちら。)
最近は、琵琶湖フィッシュアンドチップスのことで頭がいっぱいです。
インスタも始めました(こちら)♡
デザインもお気に入りさ。
2年くらいずっと思い描いていた、琵琶湖フィッシュアンドチップス。
正直言うと、今回も、提案はしたけれど、
マドレでひたすらお金のこととか売上のこととか、
他のメンバーとの合意形成とか、
人に来てもらわないといけないプレッシャーとか、
そういうなんを考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えてきたので、
(不器用だし下手くそだからね。ただそれだけのことさ!)
しばらくそういうなんからは離れたくて、やる気なかったのだけど、
でも、結果、やってよかったな、と思ってます。本当に。
意外に思われることもあるけど、元々ものすごく面倒くさがりなので、こんなきっかけでもなかったら、
やらずに終わってただろうし。
面倒くさがりの自分を鼓舞するのが面倒臭い、みたいな。
琵琶湖フィッシュアンドチップスネタで書きたいけど、これより先は我慢。
三日月知事にも食べてもらいました♡
開催されていた石けん運動40周年記念集会「びわ湖発。未来のセンタク。」はメンバーも豪華で、私も見たかったなー。
当日のフォトレポートはこちら。
はい、では続きですね。
続きとか書けるのかな。
* * *
ファブリカ村でエイコちゃんと出会ったところ。
そう、ナンパされたのだ。
この日、私にとっては生まれて初めてのカフェで、
その時も、全然カフェする気なんてまったくなかったんやけど、流れであれよあれよと言う間に
そんなことになってしまい、メニューの決め方、盛り付け方、
値段の設定、準備の仕方、など何にもわかんないまま、出しました。
とにかくオロオロしていた記憶。
オロオロしているのに、それが周りにはバレない、つまり冷静に見えるらしいことを知った日。
今でもそれは変わらず、普通の顔してもの落としたり、こぼしたり、変な行動を取ってしまう、
緊張したり焦ったりすると。(これは母キヨミに似たんだな、とマドレをやっていくうちに気がついた)
(当日のブログ振り返りはこちら。おもろい。)
そんな時に、エイコちゃんはお客さんとして登場。
ファブリカに電話で予約入れてくれたの、覚えている。
村西さんという人2名、という感じで頭に残っている。これで違ってたらなんて記憶は曖昧なもんなんだろうね。
ちなみに、このころはまだおかず部門始めていない。
私はまだ、一人で出店して、だいたいマフィンを中心に作っていた。
エイコちゃんはキッシュセットを食べてくれて、
帰り際に、当時私は携帯電話を持っていたので、番号交換することになった。
ちょうどこのころ、ブログに”おまけ”コーナーを始めていて、Mandodiaoとか、キヨシロウとか載せていた。
10年以上欠かさずフジロックに通う、生粋の音楽好きのエイコちゃんはそこに反応してくれたらしい。
意外と警戒心の強い私は、できる限り番号交換を避けていたのだが、
この時はすんなり受け入れた、不思議なくらい。
短いバージョンやなこれ。
あ、どうしよ、このエピソードだけで終わりそうだな。
で、この時に、エイコちゃんが、”ひとりやったらカフェとかできひんわ〜”的なことを言っていて、
私は当時、出店いろいろする中で、ひとりで活動していた人にたくさん出会っていたから、
”そんなことないよ〜できるよ〜!こんな私でもやってるねんし〜!”ていうのを、なんかむっちゃ言いたくって、
その後、いろんなイベントに誘いまくることになる。
出店で出会った素敵な人たちや、その世界に、会わせたくて、
できるって思ってほしくて(おせっかい)、
そんな中でお茶摘みに行った帰りに珈琲オッタさんで、清志郎のことを語って泣いたのは強烈な思い出。
(その間に、お茶の発酵がずいぶん進んだ。)
(この時の、エイコちゃん視点が書かれた貴重な記事はこちら。むっちゃいい記事です。永久保存版。
滋賀トコさんありがとう。いい記事書いてもらったのに、やめちゃってごめんね。)
そして、なんかの流れで、ちょうどこの年、2011年、アースデイというイベントが栗東さきらで開催されることになり、
そこに一緒に出店することに。(shop Madre x ecoで出た。)
出店で何を出すかと考えた時に、一体何時間一緒にいたのか忘れたけど、ひたすらしゃべり続けて、
こんなにもずっと喋れて、意見も言えて、私の意見がずれてたり、興味と合わなかったりしたら、
うまいこと修正したりかわしたりしてくれて、この人すごい、てなった感覚は忘れられない。
懐かしすぎる、当時の看板。
しかし、さきらの出店ではまぁまぁコケた。
出店場所ってのもあったとは思うけど、コケた。
このアースデイ、伝説的だった。
この時に、当時ベホマさん(会いたい会いたいと思っていた)、現在Base For Restであり、ノラノコでもあるチシン君に出会った。
(当時のブログ振り返りはこちら。面白い。笑)
2011年は割と、ピタパンサンドを作っていた。が、やっぱりやるからにはグルテンフリーにしたくて、
その後、ライスバーガーブームが到来する。
その後も、一緒に出店して(そしてなぜか、こける。笑)、遊んで、
ついに、2011年9月”満月キャンドルナイト燻製キャンプ”を企画・開催することになる。
きっかけは、私のオーストラリア旅時代の、
確かFraser Islandでキャンプした時の、月の光のあまりの明るさと(満月だったかは知らんけど)
月が水面に映る、反射する図と、波の音、が、あまりにもキレイだったことと、
そして、あかりんちゅ企画の信長の館でのキャンドルナイトに行った時に、
エイコちゃんと妄想を繰り広げて、燻製とワインがあったら〜となったこと。
プラス、このころ、元新橋芸者の千代里さんのお話会で、
地球暦に出会っていて、面白そうって思いつつ、ハードル高いなぁとなっており、
せめて、月のリズムだけは刻みたい、ということから満月テーマで何かやりたかったから。
(このころ、満月マルシェとかできたら最高だよな〜って思ってた。)
そして開催した第1回目のキャンドルナイト。
20名くらい来てくれたかな。持ち寄りベースで、物々交換コーナーも作って。
段ボールで作った燻製器を持って行って、琵琶湖の湖岸で、燻製で遊びながら、キャンドルナイト。
この時に来ていたメンバー、今思い出しても面白い。
伝説の第1回目だな。
当時、商工会議所関係の仕事で、別のつながりが生まれていて、
このころから、酒游舘の西村さんにずいぶん遊んでもらった。最近会っていない。元気かな?
断片的にしか記憶には残っていないけれど、
この時来ていたYギちゃんの車の蛍光な黄色とか、
火遊びする大人とか、
夕方気温が下がって、earthvillageさんから借りていたカリンバが、
ちょっと湿気ってる感じとか、うっすら覚えている。
百菜劇場さとみんはババガヌーシュを作ってきていて、
ジェントルは、燻製にたくあんを持ってきていて、
うさいぬさんはカシューナッツ?
(レポートはこちら。)
そんな第1回目を終えて、このころ、本格的に、エイコちゃんにマドレに入ってもらうことを考え始める(もっと前からかな?)。
悩んで悩んで悩んだ末、
本当に、プロポーズするような気持ちで、マドレに誘う。
重い!(と、この話をしたら誰かに言われた。)でも、本当に、ものすごい覚悟を決めて誘った。
そして、10月からエイコちゃんが正式にマドレのメンバーになる。
この際だから、暴露してしまうと、最初は自分の給料を半分にする形からスタートしている。
そして、もともとマドレメンバーは、身内で、
私も最初は東洋商会の仕事もしていたので、ゆるさ全開だったのだけど、
そうじゃない、身内でもない、東洋商会でもない、マドレ専属の人間が一人増えたことで、
その分の給料をちゃんと稼がなければ!という意識が生まれる。
* * *
他にも、幸せの経済学の上映会in安土でまた新たな出会いがあったり、
”食べられる器”に挑戦して、チヂミをキャベツの皿で出したり。も、この頃だし、
桜の花の塩漬けを初めて作ったのもこの年。
ま、ひとまず、第2弾、一旦ここまで!
あんまり進んでなくない?
まだ2011年10月だよ。笑
第3弾は、おそらく満月キャンドルナイトと自主企画のイベントいろいろの話いろいろになるのではないかと思う。
まどれ市までたどり着けるかどうか!乞うご期待!!!!
なんつって。
辛くなった時に、何度も救われている、この曲。wonderwallとかlive foeverとかも好きだけど。
Posted by shop Madre at 18:06│Comments(0)